「心の書写」バックナンバー

過去のみ言葉用紙の表裏の内容を掲載します。

一つの岩一瞬の風にも神様の息遣いが隠されている

私たちの周りに存在するすべてのものは、想像もできないほどの複合的な力が結びついて生まれているのです。また、その力は密接に連関して相互につながっています。

大宇宙のあらゆる存在物は、一つとして神の心情の外で生まれたものはありません。木の葉一枚揺れることにも宇宙の息遣いが宿っています。〈自叙伝51ぺージ〉

自然を大切にして保護する近道は、自然を愛する心を持つことです。道を歩いていて一株の草を見ても、涙を流すことができなければなりません。一本の木を抱きかかえて泣くことができなければなりません。

一つの岩、一瞬の風にも、神様の息遣いが隠されていることを知らなければならないのです。自然を大切にして愛することは、神様を愛することと同じです。神様がつくられたすべての存在を愛の対象として感じなければなりません。博物館にある一つの作品がいくら立派だとしても生きている神様の作品には及びません。

道端に咲く一輪のタンポポが新羅の金の冠より尊いのです。〈自叙伝316ページ)

世界が一つになって平和に暮らす

私は理念と宗教の違いゆえに相手を憎み、互いに敵となった国どうしの間に、平和の橋を架ける仕事に生涯を捧げました。 イスラーム(イスラム教)とキリスト教が融和するように交流の場を設けたり、イラクをめぐって対立する米ソの意見を調整したり、北朝鮮と韓国の和解に尽力したりしました。

名誉や金欲しさでしたのではありません。物心がついて以来、今に至るまでの私の人生のテーマはただ一つ、世界が一つになって平和に暮らすことです。他のことは眼中にありません。昼夜を問わず平和の為に生きることは容易ではありませんが、ただひたすらその仕事をする時、私は幸福でした。(自叙伝16ページ)

私の願いは世の中を幾重にも囲んできた塀と垣根をきれいさっぱり壊して、一つになる世の中を作ることです。宗教の塀を壊し、人種の垣根を取っ払い、富む者と貧しい者との格差を埋めた後、太古に神様がつくられた平和な世の中を復元するのです。飢えた人もなく涙を流す人もない世の中ということです。(自叙伝19ページ)

幸福は人のために生きる人生の中にあります

幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声がかれるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。 私の人生が私だけのものでなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの行き方とは全く違う道を行かなければなりません。(自叙伝343ページ)

幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。 幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。(自叙伝343ページ)

意志さえあればできないことはない

その頃、草梁の労務者用の宿舎に入ることができました。部屋があきれるほど小さくて、対角線で横になっても壁に足が当たります。その後、知り合いの家に泊めてもらい、その部屋で鉛筆を削り、心を尽くして『原理原本』の草稿を書きました。

極貧の生活だろうと何の問題もありませんでした。たとえゴミの山の中で暮らしたとしても、意志さえあればできないことはないのです。(自叙伝124〜125ページ)

歴史上、偉大な指導者は、皆幼い頃から人生の目的が明確でした。彼らは、幼い頃に胸に抱いた目的を生涯大切に持ち続け、それを成し遂げようと熾烈な人生を生きました。

寝て、起きて、活動するすべての人生の営みが、未来の舞台を準備するためのものだったのです。今、果たしてどれだけの人がそのような人生を生きているでしょうか。

私たちは全員、偉大な人間として創造されました。何の意味もなく皆さんがこの世界に出てきたのではありません。神様は、自分のすべての愛を注いで私たちをつくりあげられたのです。ですから、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。神様がいらっしゃるので、私たちは何でもすることができるのです。(自叙伝327ページ)

あらゆることに精いっぱいの誠を尽くす

私たちはあらゆることに精いっぱいの誠を尽くすべきです。それも一日、二日ではなく、常にそうすべきです。

刀は一度使っただけで磨かないと、切れ味が悪くなってしまいます。真も同じです。毎日刀を鋭く磨き、刀を研ぐという心で、絶え間なく継続すべきです。(自叙伝71〜72ページ)

どんなことでも誠を尽くせば、我知らず神秘の境地に入っていくようになります。筆を握った手に誠心誠意の一念を込めて、「この手に偉大な画家が降りてきて私を助けよ」と祈りつつ精神を集中すれば、天下の耳目を驚かすような絵が生まれます。(自叙伝72ぺージ)

「真を投入せよ!眠気の中でも投入せよ!へとへとになるまで投入せよ!おなかが空いても投入せよ!」と何度も何度も自分に言い聞かせ、ありとあらゆる反対とデマの中にあって、種を蒔く心情で祈りました。そして、その種は大きく育って必ず穫り入れるだろうし、韓国で穫り入れが難しければ、間違いなく世界で穫り入れられるだろうと考えました。(自叙伝148ページ)

幸福は常に私たちを待っています

幸福は常に私たちを待っています。 それでも私たちが幸福を探し出すことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。

欲にくらんだ目は前を見ることができません。たったいま地面に落ちた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくし、ポケットが破れたこともわかりません。(自叙伝339ページ)

自分だけのために生きる利己的な人生ほどおろかな人生はありません。利己的な人生は自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。 (自叙伝340ページ)

家和して万事なる

「家和して万事なる」という言葉を覚えておくべきです。家庭が平和であれば、すべてのことがうまくいくという意味です。平和な家庭は天国の基礎であり、家庭の原動力は愛です。家庭を愛するように宇宙を愛すれば、どこへ行っても歓迎されるようになります。神様は、宇宙全体の父母として愛の真ん中にいらっしゃるのです。したがって、愛にあふれた家庭は、神様にまで一瀉千里で通じるようになります。家庭が愛によって完成してこそ宇宙が完成するのです。(自叙伝223ページ)

家庭というのは人類愛を学び教える学校です。

父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。又、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。

愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。(自叙伝233ページ)

心を尽くして人の話を聞いてあげる

私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。話そうとする人の心は緊迫していて、自分を救ってくれる太い綱を探し求めるのです。

そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それが、その人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。

生命を尊く思って敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯に話してあげました。そして、涙を流してお祈りしました。〈自叙伝150〜151ページ)

愛する心があれば誰でも心を開く

私は誰とでも気持ちがすっと通じます。お婆さんが来ればお婆さんと友達になり、子供たちが来れば子供たちとふざけたりして遊びます。相手が誰であっても、愛する心で接すればすべて通じるのです。(自叙伝76ページ)

監獄暮らしといっても特に恐ろしくはありませんでした。経験があったからでしょうか。その上また、私は官房長と親しくなるのが上手です。二言三言話をすれば、どんな官房長でもすぐに友達となってしまいます。誰とでも友達になれるし、愛する心があれば誰でも心を開ようになっています。〈自叙伝101ページ)

訪ねてくる人には、三歳の子供であろうと腰のまがった眼の遠い老人であろうと、愛の心で敬拝し、天に対するように仕えました。年取ったお爺さん、お婆さんが訪ねてきても、夜遅くまで話をしました。「なんだ、年を取った老人なので嫌だな」というような思いを持ったことは一度もありません。

人は誰でも尊いのです。人が尊いことにおいて、老若男女に差別はありません。(自叙伝97ページ)

お互いを認め合い助け合って生きる

お互いを認め合い助け合って生きる―これが宇宙の真理です。

取るに足りない動物もそのことを知っています。犬と猫は仲が悪いと言われていますが、一つの家で一緒に育ててみると、お互いの子を抱きかかえ合って親しくなります。植物を見ても分かることです。木に絡まって上に伸びていく葛は、木の幹に寄り掛かって育ちます。だからといって、木が「おまえはなぜ私に巻き付いて上がっていくのか」と葛を責めたりはしません。 お互いに為に生きながら、共に生きることがまさに宇宙の原理です。(自叙伝18〜19ページ)

助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁です。その時はよく分からなくても、後で振り返ってみて、「ああ、それで私をその場に送られたのか」と悟るようになりました。

ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら「天がこの人を助けるようにと私に送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「十を助けなさい」と言うのに、五しか助けないのでは駄目です。「十を与えよ」と言われたら、百を与えるのが正しいのです。

人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。(自叙伝74ページ)

愛の刀で苦悩を断ち切る

私に取り柄があったとすれば、神を切に求める心、神に向かう切ない愛がそれだったと言えます。

いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。

神は、愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、私を呼ばれたのです。私は何も自慢できるものがない田舎の少年でした。

この年になっても、私はただひたすら神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。(自叙伝67ページ)

真の愛とは、自分の命までも捨てることができるものです。

そこにはいかなる計算もありません。母鳥が命を捨ててまで雛を守ろうとするその心は、真の愛そのものです。父母はいくらつらくても愛の道を行きます。愛の前に自分の命を投げ出していくのが父母の心であり、真の愛です。(自叙伝219ページ)

苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。

その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのでないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。

イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話になりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。(自叙伝62〜63ページ)

神様が十五歳の私に現れたのは、人類始祖の犯した罪の根が何であるかを伝え、罪と堕落のない平和世界を築こうとされたためでした。人類が犯した罪を贖罪し、太古の平和世界を復元するように、というのが、私が神様から授かった厳重なみ言でした。神が願う平和世界は死んでから行く天国ではありません。神の願いは、私たちが生きるこの世の中が、太古に創造されたその場所のように、完全に平和で幸福な世界になることです。(自叙伝89ページ)

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